『シザーハンズ』におけるティム・バートンの自己投影

スポンサーリンク

手がはさみの主人公・エドワードが登場する映画『シザーハンズ』。エドワードには、モデルとなった人物がいます。この記事では、エドワードのモデルとなった人物は誰なのか、また監督がこの作品に込めたメッセージなどを紹介しています。

スポンサーリンク

『シザーハンズ』のあらすじ

発明家の博士によって作られた人造人間のエドワード。エドワードは、博士と一緒に山の中のお城でひっそりと暮らしながら、人間として生きる術を学んでいきます。ある日、博士はエドワードに手を取り付けようとしますが、あと一歩のところで博士は亡くなってしまいました。そしてエドワードの手には、代わりに付けられた大きな「はさみ」だけが残るのでした。

博士が亡くなったことで、エドワードはお城を出て人々が暮らす街で暮らし始めます。そこでエドワードは、キムという女性に恋をします。しかしエドワードは、はさみの手のせいで彼女とうまく接することができません。手のはさみは、時に素晴らしい植木のカットを生み出して、町の人々を喜ばせましたが、またある時には周りの物や人を傷つけてしまうのでした。

そして、迎えたクリスマスの日。エドワードは大きな氷の塊を削って雪を降らせ、キムを喜ばせます。しかし、エドワードのはさみがキムに当たってしまったことにより、キムは怪我を負ってしまいます。これが引き金となり、エドワードは町中の人々から追われることになってしまいました。山の中のお城へと逃げるエドワードでしたが、エドワードを嫌う町の住人・ジムがエドワードを殺そうと後を追うのでした…。

エドワードってどんなキャラクター?

物語の主人公であるエドワード。

博士によって作られた人造人間で、手には大きなハサミがついています。全身を黒い服が覆い、顔は青白く、ボサボサの髪が特徴的です。見た目から一見怖そうに見えるエドワードですが、実は内気な性格で、心優しく純粋な心を持っています。

エドワードは、町の住民である女性ペグによってお城から町に連れて来られました。そしてペグの家で、夫のビル、娘のキム、息子のケヴィンと共に生活することとなります。町の人々は、はさみの手を持つエドワードに興味津々です。住人の中には、エドワードの優しい性格を利用して、悪巧みをしようとする者もいました。しかし、エドワードが彼らを責めることはありません。

また、エドワードは手についているはさみを器用に使って、植木を様々な形にカットするのが得意です。町では、この植木のカットが住民にうけ、一躍町の人気者となります。しかし、このはさみは時に周りの物を壊してしまったり、人を傷つけてしまうこともありました。エドワードの顔には、自分のはさみでつけたたくさんの傷痕が残っています。そしてある時には、大切な女性・キムのこともはさみで傷つけてしまうのでした。

エドワードにはモデルとなった人物がいる!?

エドワードには、モデルとなった人物がいると筆者は考えています。それはティム・バートンです。 ティム・バートンは、『シザーハンズ』の監督を務め、この作品の生みの親とも言えます。

彼はこの作品を通して、主人公のエドワードに自分を投影し、自分が何者なのか観客に伝えようとしているかもしれません

ティム・バートンってどんな人物?

アメリカの映画監督で、“奇才”と言われるほどの変わり者であるティムバートン。

独特な雰囲気の作品が多く、これまでにたくさんの観客を虜にしてきました。ティム・バートンという名前は聞いたことがなくても、作品を聞けば「あ~あの映画の監督か!」とピンと来ると思います。

ティム・バートンの代表作は、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993年)や『チャーリーとチョコレート工場』(2005年)、『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)などです。どの作品も、個性的なキャラクターやブラックジョーク溢れるストーリーが特徴的です。

ティム・バートンは自他共に認める変人で、“マイノリティ”であると考えられます。マイノリティとは、「少数派」という意味です。反対の意味で、“マジョリティ(多数派)”という言葉があります。

どのような人物がマイノリティであるかというと、例えば人種的マイノリティでいうと白人以外の「黒人」。また、性別で見ると「トランスジェンダー」、「ゲイ」が性的マイノリティに当てはまります。

しかし、ティム・バートンは、白人であり、またトランスジェンダーでもゲイでもありません。では、なぜ彼はマイノリティなのでしょうか?それは、彼の考え方や感性が他の人とは全く異なるからです。

つまり、ティム・バートンは、外見ではなく内面が「マイノリティ」であるということになります。彼は、幼い頃から周りに馴染むことができず、「自分は他の人とは違うんだ」という思いを抱いて孤独に生きてきました。

また、時にはクローゼットの中に座り込んで出て来なくなったり、机の上に座ったり机の下に潜り込んだりするなど、普通の人からは理解できないような奇行を繰り返していました。また、無口で人付き合いが苦手なティム・バートンは、しばらくの間、職場で口がきけない人だと思われていたというエピソードもあります。

エドワードとティム・バートンの接点

『シザーハンズ』のエドワードと監督のティム・バートンには、内面的な部分で共通点があります。それは、どちらも周りに馴染むことのできない「マイノリティ」であるということです。

人造人間で変わり者のエドワードは、町に出た途端注目の的となり、周りに馴染もうと努力をしますが、結局は馴染むことができず、住人はエドワードを排除しようとします。このエドワードというキャラクターを通して、ティムバートンは、「マイノリティの扱われ方」を観客に伝えたかったのではないでしょうか。

次にエドワードとティム・バートンの「個性」に注目してみたいと思います。彼らの個性は人々を喜ばせますが、時に人々は彼らの個性を拒絶します。エドワードの特徴といえば、手に付いた大きなはさみです。彼のはさみは、他の人にはないエドワードだけの個性であると言えます。

この個性は、なんでも素晴らしい形にカットできるというプラスの意味を持ちながら、一方で、人を傷つけるというマイナスの意味も持っています。そして町の住人は、最終的にエドワードのはさみの悪い部分だけを見て、彼を拒絶します。

そしてティム・バートンの持っている「独自の感性や抱えている孤独」という彼の個性も、エドワードと同様にプラスの意味とマイナスの意味を持っています。作品を作る時には、この感性が独特な世界観を生み出しプラスに働きますが、一方私生活では、周りに馴染めずに変わり者として扱われてしまいます。

お互いにマイノリティであること、また、彼らの個性が自分自身を苦しめる要因でもあるということが、エドワードがティムバートンをモデルにしていると考える理由です。また、2人の外見を見比べてみると、ボサボサのヘアスタイルも似ているように感じられます。

『シザーハンズ』を見た多くの観客は、バッドエンドとも言えるこの映画の終わり方に対して、「エドワードがかわいそう。町の人々はひどいことをするなあ。」という感想を持つと思います。しかし、現実社会ではマイノリティは中々受け入れられず、一部のマジョリティはマイノリティを排除しようとしています。ティム・バートンは、エドワードと自分を重ね合わせ、この世界の現状に皮肉の意味を込めて、このような映画の終わり方にしたのかもしれませんね。

タイトルとURLをコピーしました