1960年代のノリノリな音楽とダンスが楽しめるミュージカル映画『ヘアスプレー』。人種差別をテーマにしており、映画を通して当時のアメリカの様子を伺うことができます。この記事では、映画のシーンを取り上げながら、実際に当時のアメリカではどのような人種差別が行われていたのかを紹介していきます!
あらすじ
舞台は、未だ人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカ・ボルチモア。

ぽっちゃり体型のトレーシーは、ダンスと歌が大好きな女子高生です。彼女は、若者向けの人気ダンス番組「コーニー・コリンズ・ショー」を見ることを毎日楽しみにしていました。
「コーニー・コリンズ・ショー」の出演者は全員が白人。黒人は白人と同じ舞台で踊ることができず、彼らは月に一度のブラック・デーの日のみ番組に出演することが許されています。
ある日、番組は新メンバーを募集し、トレーシーはオーディションに参加しますが、トレーシーは番組メンバーの笑い者にされ、相手にもしてもらえませんでした。
トレーシーはその後、学校で黒人のシーウィードとダンスを通して意気投合し、仲良くなっていきます。すると、2人のダンスを同級生であり番組のメインダンサーのリンクが偶然見かけます。
リンクはトレーシーに、「そのダンスを司会者のコーナーに見せればきっと番組に出られる」と伝え、その後見事トレーシーはメンバーの仲間入りを果たすのでした。
そんな中、月に一度のブラック・デーが廃止になることが決まり、黒人の間では「差別番組反対」のデモが開かれることになります。
人種差別に反対のトレーシーは、黒人メンバーに混ざってデモに参加します。しかし、デモの最中失礼な態度を取る白人警察官に対して反抗的な態度を取ったことから、トレーシーは警察から追われるはめに。
そんな中、数日後には番組の一大イベント「ミス・ヘアスプレー」が控えています。トレーシーは無事に「ミス・ヘアスプレー」の会場に行くことができるのでしょうか。また、ブラック・デーの結末は…。
1960年代のアメリカ
『ヘアスプレー』を見ていると、至る所で人種差別と思われる言動が見られます。
では、舞台となった1960年代のアメリカでは、実際にどのようなことが行われていたのでしょうか。
アメリカでは、1950年代から1960年代にかけて公民権運動が行われていました。当時のアメリカでは、黒人は白人と平等な権利を有していませんでした。

例えば、バスやレストランには黒人専用の座席が設けられていて、白人の席に黒人は座ることができませんでした。また、黒人の有権者登録を役所の白人が不当に妨害したりと、黒人に対する人種差別が当たり前のように行われていたのです。
これらの差別に対して、黒人を中心に公民権運動が行われ、公民権の適用と人種差別の解消を求めての大衆運動が行われました。
そして1964年、ついに公民権法が制定されます。
この法律の制定によって、公共施設における黒人と白人の分離が憲法違反であることが確定したのです。

また、1年後の1965年には投票権法が制定され、州が黒人の有権者登録を不当に妨害した場合、連邦政府が有権者登録を行えるようになりました。
これらの出来事を踏まえて、1960年代のアメリカは人種差別の解消に盛り上がりを見せた時代だと言えます。
白人の中には、黒人に対して悪い印象を持っている者もたくさんいましたが、一方で、人種差別を反対する白人もたくさんいました。実際に、公民権運動には黒人だけでなく、多くの白人が参加していました。
映画内で見られる黒人差別について
では実際に、映画の中の黒人はどのような扱いを受けていたのか見ていきたいと思います。映画を確認すると、これらの差別や偏見が見受けられました。
- 白人と黒人が踊る時には、間にロープが張られ、同じ場所では踊ることができない。
- 白人生徒がいるクラスには、一人も黒人生徒がいない。(白人と黒人で教室を分けられていた可能性も…)
- 居残り教室には、黒人生徒しかいない。
- 「コーニー・コリンズ・ショー」で、黒人は白人と一緒に出演するとこができず、黒人は月に一度「ブラック・デー」の日のみにしか出演することができない。
- 「コーニー・コリンズ・ショー」の番組プロデューサーや偉い立場の人は白人のみ。
- 白人のリンクは、黒人街に行く時に「僕たちが行っても安全?」と聞く。
- トレーシーが、「人種差別反対」のデモに参加しようとしたところ、デモ主催者のメイベルから、「きっと番組を降板させられるわよ」と言われる。
- 白人の警察官は、黒人のデモ隊に対して、「このまま大人しく家に帰れ。」と失礼な態度をとる。
- 白人のペニーと黒人のシーウィードが恋に落ちた時、メイベルは2人に対して「あなた達はこれから馬鹿な人々の非難を浴びることとなる。」と伝える。
このように公共施設における黒人と白人の分離や人種差別的な言動が、映画の中でも度々見受けられました。
映画内のこれらの描写は決して大袈裟なものではありません。実際に当時のアメリカでも、黒人を支援した白人は他の白人から嫌がらせを受けたり、黒人と白人は同じ番組に出演することができないといった差別が行われていたようです。
ブラック・デーは本当にあった!?ヘアスプレーのモデルとなった番組とは
「コーニー・コリンズ・ショー」で、月に一度黒人が出演できる日「ブラック・デー」。実は、このブラック・デーは、当時のアメリカでも実際に存在していました。
まず始めに、『ヘアスプレー』は実在したテレビ番組をモデルにしているという話からしたいと思います。
モデルになったのは、1957~1964年にアメリカで放送されていた『The Buddy Deane Show』。

『The Buddy Deane Show』は、当時のアメリカで最も人気のある番組と言われ、学生がテレビ番組に出演し、流行りのダンスステップを紹介するという内容だったようです。
この番組では、番組を作っていたWJZテレビ局の方針により、基本的に出演者は白人のみで黒人は出演できなかったようです。
しかし、時代の移り変わりと共に、人種差別を反対する声が大きくなり、『The Buddy Deane Show』も一時はブラック・デーを設けていたようです。そして、この番組のブラック・デーも『ヘアスプレー』の作品内で描かれていたのと同じように、黒人が唯一番組に出演できる日だったと言われています。
『ヘアスプレー』では、最終的にブラック・デーが廃止され、白人と黒人が一緒に番組に出演できるようになるという結末で締めくくられています。
しかし、『The Buddy Deane Show』で、白人と黒人が一緒に出演する夢は叶いませんでした。
『The Buddy Deane Show』で成し遂げることのできなかった夢を、『ヘアスプレー』という映画を作ることによって実現させたのかもしれません。
まとめ
映画『ヘアスプレー』は、一見楽しくハッピーなミュージカル映画のように見えますが、実は1960年代という人種差別がまだ色濃く残るアメリカを描いていたということが分かりました。
白人の中には、黒人を人間のように扱わず酷い行いをしてきた者がたくさんいました。しかし、そのような人ばかりではなく、危険を冒してでも黒人のために行動したトレーシーのような白人がいたのも事実です。
誰がなんと言おうと正しい事を行う “GO MY WAY” なトレーシーの姿には、非常に勇気をもらえますね!気になった方は、ぜひ映画をチェックしてみてください!
