ティム・バートン最初の短編映画『ヴィンセント』6分間に詰め込まれた思いとは!?

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この記事では、『アリス・イン・ワンダーランド』などの作品で知られるティム・バートンが一番初めに作った短編映画『ヴィンセント』を分析しています。ティム・バートンの幼少期や価値観が見えてくるとても面白い作品なので、ぜひチェックしてみてください!

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『ヴィンセント』とは?

短編映画『ヴィンセント』は、1982年にティム・バートンによって製作された約6分間のストップモーションアニメーションです。

原案、脚本、そして監督までティム・バートンが一人で務めました。また、この作品は彼が愛する古典ホラー映画へのオマージュも兼ね、カラーではなくモノクロで撮影されています。

ティム・バートンは、ホラー映画の出演などで知られる怪奇俳優ヴィンセント・プライスの大ファンであり、『ヴィンセント』ではヴィンセント・プライスに憧れる少年の苦悩が描かれています。

また、ヴィンセント・プライス本人もこの作品のナレーターとして出演しています。

ロサンゼルスの映画館で、マット・ディロン主演の『テックス』と共に約2週間同時上映され、ロンドンやシカゴで行われた映画祭では、高い評価を受けた本作。

現在では、映画『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のDVD特典映像で見ることができます。

あらすじ

郊外に住む7歳の男の子ヴィンセント・マロイ。

彼は一見普通の男の子ですが、他の子と違うところがひとつあります。それは、怪奇俳優のヴィンセント・プライスにとてつもなく憧れていること。

ヴィンセント・マロイは毎日、恐ろしい妄想をしては不気味に笑う日々を送ります。

しかし、そんな彼に母親は、他の子と同じように外で遊んできなさいと言うのでした。

ヴィンセントは誰からも理解されない苦しみを感じながら、ヴィンセント・プライスへの思いを募らせていきます。

分析

『ヴィンセント』は、ティム・バートンが一番初めに製作した作品です。

そのため、彼の思いがたくさん詰まっており、この作品を読み解くことによって、ティム・バートンがどのような人物なのか知ることができます。

幼少期を反映

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ティム・バートンは、この作品を通して主人公であるヴィンセント・マロイに自分自身の幼少期を投影させています。

このヴィンセント・マロイという少年は、一見普通の男の子ですが、彼の頭の中にはエドガー・アランポーの奇怪小説のような不気味な世界が広がっています。

例えば、部屋でゾンビ犬を作ったり、自分は高い塔の部屋に監禁されていると思い込んだりと、日々妄想に明け暮れているのでした。

このような描写から、ヴィンセント・マロイはティム・バートンの幼少期を表していると言えるでしょう。

ヴィンセント・プライス、エドガー・アランポーの作品オマージュ

また、本作にはティム・バートンが敬愛するヴィンセント・プライスやエドガー・アランポーの作品のオマージュが多く見られます。

エドガー・アランポーは、自身の作品において「死からの再生」や、「早すぎた埋葬」を作品のテーマにすることを好みました。

そして、ティム・バートンの作品にも同じように「死からの再生」をモチーフにした作品がいくつか見られます。

例えば、1984年の短編映画『フランケンウィニー』。これは、愛犬の死を受け入れられずにゾンビ犬として蘇らせてしまう少年の話で、「死からの再生」がテーマとなっています。

また、1988年の『ビートルジュース 』は、大きな郊外の一軒家で幸せに暮らしていた夫婦が、事故で突然死んでしまい、その後幽霊としてその家に越してきた家族を、あらゆる方法で追い出そうとするという話です。

その他にも、戦争で命を落とした残虐な兵士が再び蘇り、連続殺人を行う『スリーピー・ホロウ』(1999年)なども死からの再生がモチーフとなっています。

『ヴィンセント』には、エドガー・アランポーが好んだもう一つのテーマである「早すぎた埋葬」をモチーフにしているシーンもあります。

それは、作品内で少年ヴィンセントが、最愛の人を生きたまま埋葬されていたことを知り、掘り起こそうとするシーンです。

この作品には、この他にもヴィンセント・プライスやエドガー・アランポーをオマージュにしたシーンがあります。

例えば、ヴィンセント・マロイが家に訪ねてきたおばさんを蝋人形にするシーンは、ヴィンセント・プライスが主役を務めた『肉の蝋人形』(House of Wax, 1953)のオマージュのように思えます。

肉の蝋人形

また、作品内最後のシーンは、エドガー・アランポーの『大鴉』 (The Raven, 1845)で使われているこのような言葉で締めくくられています。

“And my soul from our that shadow that lies floating on the floor Shall be lifted-Nevermore!”
(そして床の上に揺らめぐ影に宿る私の魂は、二度と立ち上らない)

これらのことから、ティム・バートンは敬愛するエドガー・アランポーやヴィンセント・プライスの影響を大きく受けて、『ヴィンセント』を製作したことが分かります。

ティム・バートンと家族との関係

次に、作品内で描かれている家族構成について見ていきます。

ヴィンセント・マロイとティム・バートンの家族構成を比較してみました。

ヴィンセント・マロイの家族構成ティム・バートンの家族構成
母、妹、猫、叔母、ペットの猫父、母、弟、ペットの犬(幼少期)

年下の兄弟がいたり、ペットを飼っていたりと、ヴィンセント・マロイとティム・バートンには共通する部分があります。

また、『ヴィンセント』には父親が登場しないのですが、これはティム・バートンと彼の父親が犬猿の仲であったことが関係しているかもしれません。

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では、ティム・バートンはどのような家庭環境で育ったのでしょうか?

彼の家庭は、決して幸せなものではありませんでした。ティム・バートン自身、子供の頃は決して仲のよい家庭で育ったわけではないと語っており、よその家庭を「あぁ、うらやましいな」という思いで見ていたそうです。

彼は子供の頃から内気で、人間関係を築くことが苦手でした。元々人と話すことが苦手だったため、家族とも自ら進んでコミュニケーションを取ろうとはしなかったようです。

『ヴィンセント』では、ヴィンセント・マロイの家族がなぜか「顔なし人間」として描かれています。

これは、人に対して自分の心を開くことなく、自ら近寄ろうとしなかったティム・バートンの「人に対する興味のなさ」の表れなのかもしれません。

現実の世界と妄想の世界

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作品内では、日常的な様子を描いた「現実の世界」と、ヴィンセント・マロイが頭の中で想像している「妄想の世界」が登場しています。

作品内でヴィンセント・マロイの家族がなぜか「顔なし人間」として描かれていると先程述べましたが、現実の世界では人間の顔が描かれていないのに対して、妄想の世界ではモンスターや動物の顔がきちんと描かれています。

このことから、彼にとっては妄想の世界こそがより身近で、現実の世界はフィクションのように写っていたのかもしれませんね。

また、この二つの世界において、ヴィンセント・マロイは全く別人のように違います。

例えば、表情です。

妄想の世界で見ることのできる彼の表情は、笑ったり、怒ったり、悲しんだりと表情豊かで人間的なように見えます。

それに比べて、現実の世界で見ることのできる彼の顔は、作ったように無表情で、あまり人間味を感じることができません。

この表現から、妄想の世界の自分こそが本当の自分であるというティム・バートンの幼少期の思いを感じることができます。

また、髪型にも違いが見られます。

現実世界では髪がきちんと整えられていて、一般的な7歳の男の子のように見えるのに対して、妄想の世界での髪型は、無造作で乱れています。まるで、現在のティム・バートンのような容姿です。

まとめ

『ヴィンセント』は、ヴィンセント・プライスに憧れるヴィンセント・マロイという少年の苦悩を描いた作品です。

また、それと同時にティム・バートン自身の幼少期を表した作品であるのかもしれません。

ティム・バートンが幼い頃に思い描いていた自分の姿は、ヴィンセント・プライスのような人間でした。

しかし、大人になったティム・バートンは、ヴィンセント・マロイの妄想の世界における姿を現在の自分自身の姿に似せて描きました。

ヴィンセント・マロイが、妄想の世界でヴィンセント・プライスになりきっているのであれば、髪形もヴィンセント・プライスのようにワックスできちんと固めたようなものにすればよいのに、なぜここでティム・バートンは妄想の世界のヴィンセント・プライスの髪形をぼさぼさに乱れた自分自身の髪形のように描いたのでしょうか。

もしかしたら、ティム・バートンは、子供の頃はヴィンセント・プライスのいる世界は憧れでしかなかったものの、現在はその夢が叶い、妄想の世界を現実に変えることができたということを表しているのかもしれませんね。

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